岡山市中心部を流れる旭川の放水路、百間川の堤防の一部が、江戸時代、治水事業に貢献した岡山藩の津田永忠にちなみ、
「永忠堤」の愛称で呼ばれることになりました。

これは、江戸時代前期に岡山城下の治水対策として、百間川を整備した岡山藩郡代津田永忠の功績を語り継ごうと
「津田永忠顕彰会」が名付けたものです。きょうは、顕彰会の小嶋光信代表理事から、国土交通省岡山河川事務所の
水戸雅文所長に趣意書が手渡され、水戸所長が今後、この愛称を活用していくことを約束しました。
今回愛称が付けられたのは、延長約13キロの百間川のうち、「一の荒手」、「二の荒手」と呼ばれる堤防が設けられている
旭川の分流部で、現在は、当時の形状をコンクリートなどを用いて強度を上げて復元しています。