私の祖父は、理学博士だ。

祖父は口癖のように、
「ももちゃん、真面目な人はすばらしい、不真面目よりずっといい。でも、もっといいのは非真面目な人だよ。正解だけじゃなく別解を生める人は、いいアイデアを残せるはずだ」と話していた。

当時は、「え…別解も正解も満点は100点じゃん」などと思っていたのだが笑、AI=人工知能が最もらしい「正解」を簡単に導けるようになった今、祖父の教えが響きを増してきたのだ。

【AI時代のアナウンサーってなんだろう。コンテンツ制作の現場で問われることはなんだろう。】

それを考える転機となったのは、「中四国制作者フォーラム」の参加、そしてオファーいただいた「全国制作者フォーラム」の司会でのこと。

まず、フォーラムで、学生からお会いしたかった東海テレビの土方ディレクターにお会いできた。衝撃のドキュメンタリー作品『さよならテレビ』などを手掛けた方だ。

「AIがニュースを読める時代だからさ、アナウンサーらしいアナウンサー、目指そうとしないでほしい。こうやって真面目な話をしてる中でも、君は素の天然さとか、ユーモアさが自然と出るでしょ。変に枠にはめて綺麗に話そうとせず、そういう人間味で伝えることを大切にしてね」

今後のビジョンを相談する中で、こんな言葉をいただいた。お守りのような言葉だ。

そこから、AI時代のコンテンツ制作に求められることも
本腰を上げて考えるようになった。フォーラムの司会を務めつつ、全国の優秀作品を前に、その要素を探った。

どれも間違いなく、それぞれの観点で優秀。ただ。

どこかで見たような「定型」の作品、いわば「課題曲を綺麗にこなした作品」より作り手の気概や挑戦心が感じられる「多少不完全でも自由曲に挑んでいる作品」が評価されているという印象を受けた。※私の完全な主観です。

ここで課題曲と自由曲を分ける要素としては、①何を取材しているか(=対象物)②どう見せているか(=取材や編集の視点)だと思う。

①に関しては割と明瞭で、世に出すインパクトがありながら「初登場」であれば、後者になりやすい。

②に関しては、まだまだ模索中だが、一つの手段として取材者が秀逸な「裏テーマ」を設定、もしくは暗示していることが挙げられる。

例えば、表面的には「戦争」を取り上げているが、「伝えるとは何か」という裏テーマが浮かびあがったり。

現場を取材した人、対象物を様々な角度から見た人だからこそ生まれる視点は、視聴者に強く響く。深い余韻を残し、考えるきっかけを届ける。

ここでいう「課題曲」と「自由曲」は、「正解」と「別解」に近いもので、AI時代、やはり「別解」を生める人は価値が増していくのだとハッとさせられた。

そこから私も「裏テーマ」の設定を一つ意識しながら、企画の制作にあたるようにしている。

前回ブログに書いたPwCコンサルティングの安井社長の企画もそうだ。

内容はYouTubeで見ていただきたいのだが笑、コンサルという合理的な世界のトップに立ちながら、取材で感じたのは、意外にも、安井社長の「合理性を超えた人情や人間味」だった。

「コスパの谷を超えた人」で、そこが魅力だなぁと感じ、裏テーマを「合理と非合理」に近いところにおいて編集を進めた。

YouTubeにアップしたところ、視聴者のそれに関するコメント(時間の使い方や儲けに関するコメント)が散見され、ねらいが少し形に表れて嬉しかったりもした。

AIが本当に便利な時代になった。
だからこそ、いい形で役割分担をして、「別解」に挑むエネルギーを注いでいけたらいいなと思う、今日この頃。

祖父のいう「非真面目」になるために、私の言葉でいう「真面目に不真面目」になるために(個人的には、正反対に見えるこの二つの融合が、非真面目に近い気がしている)

遊び心を大切に、日々を過ごしていきたいと思う。

原稿に書いたら怒られそうな長文になりましたが…読んでくださりありがとうございました!また☺