今の世の中、米どころと言えば、新潟県など東日本を脳裡に浮かべる方も多いと思いますが、実は岡山もその名を全国に知られた米どころだったのです。
その謂われを紐解くと、江戸時代に備前岡山藩の参勤交代の時に荷担役が唄っていたといわれる道中唄「米のなる木」に行き着きます。この唄で道中の道すがら「米どころ岡山」が全国に広められたと言われます。

【米のなる木】※1
わたしゃ備前の岡山育ち
米のなる木をまだ知らぬ
(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ)
備前岡山 住み良いところ
白いお飯(おまま)に鯛添えて
(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ)
岡山街々(まちまち) 夜更けて通りゃ
鼓・太鼓や三味(しゃみ)の音
(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ)
備前岡山 新太郎様※2
江戸へござれば 雨が降る
(ア ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ)

※1罪の母を親として、獄舎で生まれて育てられた少女が、使役の米つきをしながら口ずさんだ。その哀れさに獄吏も同情し、ついに藩主の耳にはいって釈放された、という仁政ぶりの宣伝歌であるなど、さまざまな説がある。
※2名君池田新太郎少将光政
≪引用≫岡山県立図書館電子図書館システムデジタル岡山大百科 「わたしゃ備前の岡山育ち」で始まる歌について

岡山米の代表と言えば、あのササニシキ、コシヒカリ、あきたこまちなど、人気のお米のルーツとなった朝日米でしょうか。
特に料亭・お寿司屋さんなど素材の吟味に厳しい全国の料理人の方から高い信頼を得ているそうです※3。
※3岡山大学農学部学術報告 Vol.93,51-57(2004) 『岡山県における主要水稲品種の食味と理化学的特性』山本永真・松江勇次・齊藤邦行・黒田俊郎(農業生産システム学講座)には、「朝日は総合評価・粘りでコシヒカリと同等の値を示し,味はコシヒカリよりも優れ,硬さはアケボノよりも硬いことが認められた(Table 2,Fig. 1).すし米は,合せ酢が浸透しやすく,飯粒がくずれないで混ぜやすいものがよく,適度の粘りと硬さをもつ銘柄が選ばれるとされ,岡山の朝日米がすし飯として多く使用されているとことの理由を裏付ける結果となった」と記載されている。

そして忘れてはならないのが、酒造最適米「雄町米」の存在です。
酒造米の最高級品種としてその名を知られていますが、山田錦など酒米のルーツとしても有名です。
この朝日米、雄町米の主な産地が岡山市などと並んで赤磐市となります。
昭和15年に発行された「改修 赤磐郡誌全」には、【第十章 産業 1.農業】に「農業上で特筆すべきは、雄町米の産出で、酒造米として全國に其聲價が高い。
主産地は輕部・笹岡・五城・可眞・小野田・豐田・佐伯上・仁堀の各村から産出の物が名高い。當雄町米が酒造米として全國にその名をなしたのは、瀬戸米穀商西田氏の宣傅を得たのに始まる。西田氏の功は實に顯著なものである。近時は各村農會長が全國酒造場地方へ宣傅に行つたのに、起因して名聲が高くなつた。
而して郡内作付反別約二千町歩、生産額五萬石餘で、全國各地の清酒吟醸用として用ゐられて居る。」とあります。
この郡内作付反別約二千町歩を換算すると、1町歩は、約0.9917ヘクタール(9917平方メートル)ですから、約1983.4ヘクタールとなります。
ただ、この雄町米は、季候、土地を選ぶなど育て方が難しい上に、収量が期待出来ないことが大きな理由で、兵庫県で誕生した「山田錦」に全国区の地位を譲ることとなります。
とは言っても、利守酒造(株)社長・利守忠義氏の尽力によって、昭和50年に作付面積が6ヘクタールまで減少し、幻となりかけた酒造最適米として最高級品種の誉れ高い雄町米はその復活の陽の目を見ることとなります。
平成21年産 県農産課、農林水産省総合食料局調べでは、岡山県全体で栽培面積が380ヘクタールで全国1位ですから、大幅に作付面積が伸びたというものの、希少価値が高いものですよね。
ふと花見でお馴染みの桜※4「ソメイヨシノ」を思い浮かべました。
日本固有種のオオシマザクラとエドヒガンの交配種であり、その殆どがクローンとされるソメイヨシノは日本全国で見られますが、西行法師が「よし野山さくらが枝に雲散りて花おそげなる年にもあるかな」(新古今集)と詠われた吉野の桜に代表される野生のヤマザクラはその土地ならではの美しさを私たちに今でも魅せてくれます。
※4古来、日本でサクラと言えばヤマザクラを指しました。

お米も桜のいずれも日本の代名詞的な物ですが、不思議と似通った性質があると思うのは私だけでしょうか。
ところで、お酒といえば、灘・伏見が全国的に有名ですが、お酒にまつわる言葉をここでひとつ。
「くだらない」の語源について、日本漢字教育振興会編『知っ得 日常ことば 語源辞典』(日本漢字能力検定協会)を紐解くと、「江戸時代までは京都・大阪が上方と呼ばれ、文化的にも江戸より風上に立っていたので、京から地方へ送る物は「下〔くだ〕り物」と呼ばれた。「下り諸白〔もろはく〕」は上方で醸造して江戸へ送った極上酒の称だったので、まずい酒を「下〔くだ〕らない酒」といったことから、劣悪なもの、つまらないものを「下らない」というようになったといわれる。」と書かれてあります。
さすがに権力は幕府が握っていたものの、その権威の象徴である征夷大将軍の地位は、都の朝廷によって任ぜられることもあり、ある意味コンプレックス的な要素もあったのでしょうか?
話を再び赤磐に戻します。前述の「改修 赤磐郡誌全」には、昭和15年現在の赤磐郡内酒造家の一覧の記載も見られますが、17ある酒造場の主なる酒名として「德輝鶴、鶴白眉、瀬戸鶴、惠鶴、吉井鶴、萬富鶴」など、鶴をその名に冠したものが多く見受けられるのも特筆すべきでしょうか。

岡山後楽園とタンチョウ

岡山県自然保護センターのタンチョウ
今、後楽園、そして岡山県自然保護センターでタンチョウを見ることが出来ますが、後楽園での逸話として延養亭の前庭に降り立ったタンチョウをみて、藩主・池田綱政が瑞兆と喜び、「千代やへん空とぶ鶴のうちむれて庭におりいる宿の行末」と和歌を詠んだそうです。
岡山とタンチョウの古(いにしえ)からの縁(えにし)を物語るものでしょうか。
返す返す気候温暖な瀬戸内の気候が、「晴れの国」「米どころ」「フルーツ王国」の誉れを欲しいままにする岡山を育んでいるのでしょうね。

岡山名産白桃と葡萄
そうそう忘れてはならないのが、フルーツの栽培でしょうか。
お遣い物として重宝される白桃、果物の女王と呼ばれるマスカット・オブ・アレキサンドリア、ニューピオーネ、そしてパスクラサン、あたご柿など、様々な赤磐産のフルーツが、日本全国の人々にジューシーな美味しさと満足のシンフォニーを届けてくれます。
お米にまつわる話を進めてきましたが、赤磐を始め吉備の国は、古代、大和・出雲と肩を並べ、その勢力を誇っていたとされます。
岡山では、造山古墳、作山古墳についで三番目の規模を誇る両宮山古墳で、吉備の物語に心を馳せるのも良いかも知れません。
時代を駆け上り、戦国の世、岡山城の礎を開いた宇喜多直家によって落城した茶臼山城跡など、さまざまな歴史に巡り会うことが出来るのは、本当に素敵なことだと思います。
もし関ヶ原の戦いで小早川秀秋の寝返りがなかったら、宇喜多直家の子、戦国の貴公子といわれる備前宰相・宇喜多秀家※5によって建てられた岡山城と岡山城下の発展は、小早川〜池田氏統治の岡山とは全く異なったものになっていたでしょう。

※秀吉天下統一後は備前国・美作国・播磨国西部と備中国東半の57万4千石を知行した。

作家になった気分で、歴史小説風なストーリーを思い浮かべながら、訪ねるのも楽しいかも知れません。