入鉄炮出女(いりてっぽうとでおんな)※1は、江戸時代における交通政策の1つとして、ご存知の方も多いかと思います。いかに当時の旅行が厳しかったかは、単に交通アクセス等の面だけではありませんでした。

八隅景山による「旅行用心集」※2を紐解いてみますと、「道中用心六十一ヶ條」として、「一 初て旅立の日は、足を別面静に踏立草鞋の加減等を能試、其二三日が間は所々にて度々休、足を痛ぬやうにすべし、出立の當坐には人々心はやりて、おもはず休もせず荒く踏立るものなり、足を痛れば始終の難儀になることなり、兎角は足を大切にするを肝要とす。」と、旅といえば歩くことが普通だった当時ですから、まず足を大切にしなさいと述べています。この「旅行用心集」には他にも、「特に急がない旅なら夜道を絶対に旅しない」など、様々なアドバイスがありますが、「空腹に酒は呑むな」「空腹に風呂に入るな」「道中は色恋を慎め」など、面白い記載も見受けられます。

脱線してしまいましたが、当時は、日本全国、藩という独立国が存在していたわけで、もちろん幕府の政令の他に藩独自の施策も存在していました。
さて当時の岡山から大坂・京都へ向かうには、森下町口を起点として、藤井~片上~三石宿を経由して陸路・播磨に入るルートが存在しましたが、船着町(今の京橋町)から船で、旭川を下って大坂に向う航路と、小橋町から牛窓港を経由する航路も活用されたようです。陸路が概ね5日を要するのに対し、水路では風、潮の流れの条件さえ整えば、わずか1日で大坂に到達したようです。
今回は、岡山から他国へ出るのではなく、岡山を旅する場合の宿について見ていくこととしましょう。
大名また幕府、諸藩の使者には本陣、脇本陣、会所等が指定されていましたが、岡山を旅で通過する一般の旅人には、様々な制約が設けられていました。

①宿泊場所の制限(中島町)
池田忠雄が藩主だった時代、中島繁栄のため宿屋株を与えたことに始まったといわれます。
「中島町之義者、川手船着にて御座候故、先年より旅人之宿少宛仕候へ共、賑々敷町にて無御座候處、宰相(池田忠雄)様御代御町奉行中村助兵衛殿御はからひにて、京橋詰より南のかしはた賣地被爲仰付候。道筋北側は扇計に被遣候。銘々家作り候へと被仰付候。然共商賣可仕様無御座候故、拾六色之旅商人之宿、其外旅籠屋赤前垂
の女など御免被爲候成、其時右之旅商人餘町に宿候儀停止被仰付、其より中島町賑々敷云々」※寛文十年(1670) 中島町から提出された訴状

「當地は西國海道にて候處、旅籠屋無之不自由」※町奉行 正保四年(1647)
この町奉行の通達により、16職の旅人は、西中島町の宿に泊まることとなりました。
ちなみに16職とは、絹売り、綿売り、小道具売り、小間物売り、小刀売り、木藥売り、馬道具売り、唐物売り、古手売り※3、曝売り、塗物売り、煎茶売り、墨筆売り、足袋売り、通り旅人、諸国より来る萬糶(せり)売りを指しました。
また通り旅人は、岡山を通過する旅人ですから、指定された商売人を含めて、かなりの旅人が西中島の宿に泊まることとなったと思われます。

②宿泊日数の制限
他国より岡山へ来る旅商人は、寛文十一年(1671)7月の通達により、宿泊の際に、宿から届出ることが必要とされました。また宿泊日数が30日を超える場合、請人(保証人)も必要とされましたが、延實六年(1678)からは、2泊を超えると国籍、職業、宗門等の届出が必要となり、役者・傾城(遊女)などは2泊以上の宿泊が許されませんでした。
「旅人當地へ一ヶ月共逗留致し候はゞ其者國所旦那寺より當地同宗之寺方へ添状取り旦那にいたし宗門請其上當町にて慥成請人手形両通ともに宿主へ取置可申候尤逗留之内橋上見世棚に罷出慮外ヶ敷躰無作法成儀一銭之諸勝負まで堅く不仕候様に可申付事」とし、1ヶ月以上、滞在する旅人には、岡山において宗門請を行った上に、確実な請人(保証人)が求められることとなりました。

このほか様々な規則が定められていましたが、当時の旅は、命がけでしたし、今でいうパスポートに当たる往来手形を肌身離さず持っていることも大事なことでした。
この往来手形について簡単に説明しますと、(1)住所(2)名前(3)宗旨=○○宗(4)旅の目的=伊勢神宮、金比羅宮参詣、四国八十八ヵ所巡拝など(5)その他※もし病死したらどこかの寺に埋葬して欲しい、など(6)身元を保証した人=○○宗○○寺もしくは庄屋(7)証明年月日(8)宛先などが記載されていました。発行人は、旦那寺となっていたことにも当時の宗門改めの重要さがうかがわれます。往来手形は「往来一札」という江戸時代の古文書で検索するとご覧になることが出来ますので、興味のある方はご覧になってください。

《参考》
・岡山市史 岡山市 編 大正9年発行
※1 江戸幕府が諸大名の謀反を警戒して設けていた諸街道の関所で、鉄砲の江戸への持ち込みと、江戸に住まわせた諸大名の妻女が関外に出るのを厳しく取り締まったこと。《デジタル大辞泉の解説》
※2 日本衛生文庫. 第5輯 三宅秀, 大沢謙二 編 大正6-7出版 所収
※3 使い古した衣類・道具。「―の洋服」 《デジタル大辞泉》