鳥のように空を自由に羽ばたきたい、この人類共通の願望は、東洋・西洋を問わず、昔からありました。今では、飛行機の発達によって、世界中にいとも簡単に行くことができるように出来るようになりましたが、人類の英知の結集とはいうものの、あの巨体※1が飛ぶことに不思議な感じさえ覚えます。
さて、ドイツの航空力学者オットー・リリエンタール(1848~1896)が、20数年に渡るコウノトリの観察研究から飛行技術の基礎としての鳥の飛翔を見出し、鳥の翼型での飛行実験を行うなど、後の世のライト兄弟に大きな影響を与えたことは有名なお話です。
このオットー・リリエンタールに飛行実験を遡ること約100年前、この日本、そして岡山に鳥のように空を飛ぶことに憧れ、飛行実験を行った人がいました。

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当時の備前の国児島郡八浜(現在の玉野市)に生まれた表具師・浮田幸吉(1757~1847?)がその人です。
昭和十八年(1943)に、当時の陸軍航空本部監督官長 仁村俊氏の「航空五十年史」※2を紐解くと、第一章 日本航空思想の創生として浮田幸吉についてこのように述べています。
「レオナルド・ダ・ヴィンチが航空術を研究し、獨自の飛行機によつて實驗したのは、1490代のことで餘りに古いが、イギリス航空界の父といはれるケイレイが丘を滑走して高さ十五米まで達したのは1809年のことで、既に幸吉に遅るること二十餘年である。ドイツのリリエンタールが同じく鳥の翼を模倣して作つた飛行機で實驗したのは1891年で、百年以上の月日を閲してゐる。ライト兄弟に至つては更に十數年後の1903年に初めて飛行したのである。幸吉の飛行は完全なものではなかつたかも知れないが、その年代に於てその航空思想とその實驗に於て、獨りわが國の祖たるのみならず、世界の航空思想史の上にも燦として輝く一明星たるを失はない。
彼は鳩の重さ及びその翼の大きさを計り、これを人間の重さに比例させて、人間の滑空機を作つたのである。彼の滑空機は勿論學理を究めたのでもなく、先人の業績を繼いで實驗したものでもなく、全くの獨想である。しかし、その優秀な思ひつきと第一番に飛んだといふ事實とは、わが國航空思想史上に燦として輝くものである。」
さて郷里・八浜で鳩の形を模した紙で出来た翼を作り、岡山の玉井宮※3付近で飛行実験を行い、折りしも花見客で賑わっていたこともあり、天狗と間違えられとか、お殿様の花見の宴席に落下したとも伝えられています。失敗を恐れることなく、鳥のように翼で自由に空を羽ばたきたいという幸吉は、十数回の飛行実験を行ったとされます。

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そして天明五年(1785)8月ついに運命の日が訪れます。
世界で初めて人が鳥のように羽ばいた瞬間でした。幸吉は紙の翼で岡山の京橋から飛び立つことに成功したとされます。

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ただ当時の京橋は、創業170年を誇る岡山名物・大手饅頭※4の由来にもあるように、岡山城大手門のそばに位置していました。
大手門といえば、お城の玄関口にあたる重要な場所ですから、当然、幸吉は人心を惑わしたとして捕らえられることとなりますが、備前国岡山藩第五代藩主岡山藩主・池田治政の温情判決により所払いとされました。
この池田治政については、名君池田光政公の四世の孫に当たることからも、当時、衰退していた閑谷学校が再興され、活気を取り戻すこととなりました。
岡山市の公式サイトには、「剛毅果断、前例にとらわれず実力本位の人材登用を行い、治績を高めた。老中・松平定信の寛政の改革を批判、倹約令にも平然と従わず、「越中に越されぬ山が二つある、京で中山、備前岡山」とうたわれた」とも書かれてあります。
この幕府の意向に沿わなかった一連については、大正十二年(1923)年に発行された昇竜斎貞丈 講演 『福島騒動・岡山騒動』 「岡山騒動 第一席 池田治政幕府の御改革に應ぜざる事、并に治政遊廓通ひの事」にも書かれてありますので、ご興味のある方はご覧になってください。
さて幸吉に対する当時のお裁きについて、池田藩の公式文書を見つけることは出来ませんでしたが、岡山を所払いとなって離れた後、遠江国見附(現在の静岡県磐田市)に移り住み、「備前屋幸吉」の名で郷里児島の木綿を扱う店を開き、無事に晩年を迎え、今でも磐田市の大見寺に残っています。
ただ、岡山を離れてからは諸説あり、駿河国駿府(現在の静岡県静岡市)でも同様の飛行実験を行い、騒乱を起こしたとして死罪になったともいわれます。
ところで幸吉の死後150年目に当たる平成九年(1997)には、旧岡山藩主池田家当主・池田隆政氏より、幸吉の岡山所払いが許されていますので、名実共に岡山の偉人でしょうか。
※1 ボーイング787-8 (788)  最大離陸重量212.0 ton ANA公式サイトより
※2 昭和十八年(1943) 仁村俊著「航空五十年史」
※3 玉井宮東照宮(通称 玉井宮) 岡山市中区東山1-3-81
※4 大手饅頭は天保八年(1837年)創業、その名称は、当店が岡山城大手門附近にあったため、備前藩主池田候からいただいたと伝えられています。(大手まんぢゅう公式サイトから)