さて、岡山城は、もともと16世紀の戦国時代、金川の松田氏に仕えていた金光氏が、石山(現・岡山市民会館~山陽放送周辺)に城を構えていたとされますが、この金光氏が、
妙善寺合戦後、宇喜多直家に仕えたものの、直家の囲碁の友として、臣であった後藤某を誅したために、直家の怒りを買って切腹させられ、城を明け渡すこととなります。

その後、直家の子・秀家が、旭川の川筋を変更し、掘った土を、当時「岡山」※1と呼ばれていた丘に盛り上げ、
今の岡山城天守閣の土台としました。「岡山」の地名の起りはここにあるとされ、これ以降、秀家の下、岡山が城下町としての発展を遂げることとなります。
岡山城天守閣は、「岡山」の丘の形に合わせて造られたことにより、不等辺五角形の天守台を持つ独特の形状をしたものとなっていますし、塩蔵を天守台に併設した点でも特筆すべきでしょう。(天守台左側に塩蔵があります。画像は、その1をご覧ください。)

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※1岡山城にある岡山のいわれを書いた石碑

※備前軍記 第五、岡山城改て築添る事條、云。には、「もと此の岡山ノ地は大島といふ島山なりし後世地かたもなりて岡山・・・本城を以前より猶東なる岡山の高みに移し石垣をつきあけ、大川(旭川)を引きて其本城を造り櫓を仕添らる」とあります。

以下、その3に続く)