岡山の歴史を語るにあたって、岡山城と宇喜多氏の話を避けて通ることが出来ません。岡山城
今、私達の目の前にそびえる岡山城は、残念ながら太平洋戦争の空襲で本丸以下、消失し、1966年(昭和41年)に天守閣が再建されています。創建当時※1の建物としては、本丸内に現存する唯一の櫓・月見櫓(国指定重要文化財)のみとなります。
※1元和年間から寛永年間前半の時期(1620年代)といわれます。

 

月見櫓この月見櫓は、池田忠雄が岡山藩主であったときの城郭整備の一環として行われたものですから、宇喜多氏が岡山城を築いた時代より、ずっと後になります。
もともとの天守閣は、宇喜多秀家が1597年(慶長2年)までに築いたものですし、その天守閣北東の石垣は野面積みと呼ばれる加工を施さない自然石をそのまま用いたものです。

野面積み

 

 

宇喜多(左)&池田(右)3また関が原合戦後に小早川秀秋が築き、池田利隆が大幅に改修したとみられる石垣も加工をあまり施さない自然石を用い、上部ほど傾斜が強くなる特徴を持っている※2こと、江戸時代初頭に見られる「打込ハギ」、その後の世になって「切込ハギ」が見られるなど、石垣の構築が豊臣時代の創建当時からの歴史を物語ってくれます。
※2岡山市教育委員会看板から ※石垣画像(下段)/宇喜多(左)&池田(右)・天守台宇喜多氏によって岡山が開府されたのは1573年(元亀4)※3のことでした。
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※3 1973年(昭和48年)に有志によって「岡山開府四百年記念 開祖宇喜多氏顕彰碑」が岡山城に建てられました。    ※画像提供 おかやま観光コンベンション協会(岡山城・月見櫓・石垣)

以下、その2に続く