岡山で庭園というと、まず思い起こされるのが、日本三名園のひとつ後楽園でしょうか。GAZOU14 (1)
後楽園は、時の備前岡山藩二代藩主池田綱政が、その臣である津田永忠に命じて作らせたものです。
池田綱政は、名君池田光政の嫡男でありましたが、光政が陽明学を藩学とするなど儒学重視の政策を行ったことに比べて、文化人であったことから、書画・和歌などを好み、後楽園を作らせる一方で、城下の治

水・洪水対策として百間川(今では旭川放水路とも呼ばれます)という人工の河川を作るなど、名君ぶりも発揮しました。
今回は、後楽園ではなく、江戸初期の廻遊式庭園を発展させた人物にスポットを当ててみたいと思います。
その名は、「小堀遠州」、天正七年(1579)に近江(現:長浜市小堀町)の国で生まれ、備中松山藩第二代藩主、のち近江小室藩初代藩主となりました。

以下、その2に続く