「実は窮屈だった武士の生活」で、支配階級である武士への締め付けが厳しかったことをご紹介しました。もちろん一般大衆である町民に対する締め付けは更に厳しいものであったことはいうまでもありません。

とはいえ「光政とばらずし」でご紹介しましたように、町民のせめての反抗といいましょうか、一休さんのような知恵から誕生した岡山の郷土料理「ばらずし」もあります。

今回は町人の生活を中心に、当時をかいま見ることとしましょう。

町人作法を定めたものについて、岡山市史※1 には、「寛文七年(1667)年三月市内榮町に町會所創建と同時に、記録せられたるものを濫觴(らんしょう)※2 となす」とあります。

この寛文七年(1667)は、江戸時代前期に池田光政と並んで名君と称される陸奥国会津若松藩主・保科正之によって、時の四代将軍家綱が補佐され、徳川時代の礎が築かれた頃にあたります。

また特徴として「豫(予)め其の時實(実)を豫(予)想して、某の法例を設くること甚だ稀に、大抵新事實(実)の起るに随ひ、之が解決に要する法令を設くる」とあります。

つまり、あらかじめ用意されたものではなく、事が起こってから対処する法を定めたということとなりますので、近代国家で用いられる成文法主義とは異なり、不文法に類する慣習法が取られていたこととなります。今の世の中、この慣習法については「公の秩序又は善良の風俗に反しない」※3 ことが前提で認められているものもあります。

この岡山市史に記載された町人作法には、「町手留帳・諸願留・新古條例集」から引用した「家督及び遺産相續(続)」「金銀貸借及び破産」「家屋敷の賣(売)買譲渡」「縁組」「衣食住」「借家人及び奉公人」などがあります。

では、この中から興味深いものを同書からいくつかご紹介しましょう。

まず遺産相続について、町人の家督相続は、寛文七年(1667)12月の発令により、「相続人は必ずしも実子・長男であることを問わない、その決定権は家長の意思に委ねられる」とあります。

ただ面白いことに、当時の法制度は、一家の財産を必ずしも家長のものと認めていなかったものですから、家督・遺産相続については家長の意思が優先されるものの、その財産については家長が全ての所有権を有していませんでした。よって大阪町奉行所の夫婦関係のある財産管理についての定めを準用した例もあるそうです。

また相続人の資格についても、新古條例集諸願定法「家屋敷譲り願之事」には、「親子、祖父母、兄弟、伯父母、甥、姪、舅、姑、婿並びに同居の従弟まで」とありますので、必ずしも家督相続が男子に限られていなかったこととなります。

さらに衣食住についても、町民には厳重な制限が課せられていました。

寛文八年(1667)幕府通達に基づく「殿様より御書出」には、

衣類については「町役であっても、木綿・日野紬※4 以上の着用を禁じる。帷子は染物とする」など細かく定め、食事(饗応)については、幕府の発布した饗膳二汁五菜酒三献※5 に対して、明らかに厳しい一汁二菜酒三行、菓子を一種限り認めるものの、濃茶は禁止とされました。

住宅の建築について「家普請はなるべく簡易なものとすること。柱・天井板等に、杉・桧の節無しを用いない。建具障子等には漆を塗ることを禁じる。普請に当たっては大小を問わず、町名主と協議の上、町奉行の指示を仰ぐこと」と定めています。

寛文以降、元禄、寛永と時代は流れてゆきますが、町人に対する質素倹約の発令がしばしば出されているのもまた事実です。ただ発令に当たっては、寛文、延實(実)に出されたものの繰り返しとされ、寛政年間(1789~1801)には、諸物価高騰の原因を、一般町民の奢侈・遊惰※6 にあるとして、更なる質素倹約を求めると共に、家業に精を出すことにより、暴利を貪る必要はなくなるとの論理から、商人の口銭※7 を1割以下と定めました。

そして寛政年間以降の法令として、町人の奢侈に対して極めて厳罰を科すと定め、定められた衣類以上のものを着用している者に対しては、男女を問わず、京橋に連行し、一般大衆が見守る中で、罪状が軽い者でも断髪とし、罪状が重い者については、比丘・比丘尼という出家者の姿として晒したとされます。

衣食住を始めとして、生活の一切を縛られていた町民の生活ですが、「新古條例集」に「諸願定法」として、家屋売買・譲渡など町人が行った諸手続きについて、当時の法制度をうかがい知ることが出来ます。

タイムスリップをした気分になって、江戸時代の岡山に想いを馳せるのもまた楽しいことかも知れません。

 

 

※1 岡山市史 岡山市 編 大正9年10月発行

※2 《揚子江のような大河も源は觴(さかずき)を濫(うか)べるほどの細流にすぎないという「荀子」子道にみえる孔子の言葉から》物事の起こり。始まり。起源。「私(わたくし)小説の―と目される作品」 《デジタル大辞泉》

※3 法の適用に関する通則法(平成十八年六月二十一日法律第七十八号)

第三条

公の秩序又は善良の風俗に反しない慣習は、法令の規定により認められたもの又は法令

に規定されていない事項に関するものに限り、法律と同一の効力を有する。

※4 寛文十二年(1671)十一月発令により、町人の衣類が日野紬まで許されています。

※5 酒三献 中世以降の酒宴の礼法。一献・二献・三献と酒肴(しゅこう)の膳を三度変え、そのたびに大・中・小の杯で1杯ずつ繰り返し、9杯の酒をすすめるもの。式三献。《デジタル大辞泉》

※6 奢侈 [名・形動]度を過ぎてぜいたくなこと。身分不相応に金を費やすこと。また、そのさま。「奢侈に流れる」「奢侈な生活」《デジタル大辞泉》

遊惰 [名・形動]仕事をせずぶらぶらしていること。また、そのさま。「―に時を過ごす」 《デジタル大辞泉》

※7 「くちせん」「くちぜに」とも読む。江戸時代の商業利潤。中世の問丸における問米,問銭,問丸得分などが,近世問屋の発展につれて口銭と呼ばれるようになった。その内容には仲介手数料,運賃,保管料が含まれる。《ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説》